解体通信
新解体 第020号(2018.11)
総務情報委員会
11月に入り冬の足音が聞こえはじめました。もうすでに雪への対策を行っている方々も多いのではないでしょうか。
さて、今回は解体工事の歴史について考えていきます。
全ての建物や構造物には寿命があります。古くなった建物や使用用途の無くなってしまった建物は解体を行い、建物はもちろん道路や鉄道、広場など新しいものへと変化していきました。今も昔も変わらず、人間はより良い暮らしを得るために、木造建築、コンクリート構造物、鉄骨造等の様々な構造物を幾度となく解体、新築を繰り返し新しい「まち」を作ってきました。
近年の解体工事の変化は目まぐるしいものがあります。戦前は解体工事を専門に行う業者はほとんどなく、躯体などの骨組みはとび職、内装などは大工が解体工事を行っていたようです。当時、木造建築物の古材は新築の7割程度の値段で売買がなされており、ほぼ全ての部材を慎重に生かし取りを行い、特に銘木を使用した内装材などはさらに慎重に手ばらしをして再利用していたようです。
戦時中(昭和17年頃)、国の行政から東京の火事防止のために区画整理するという案が出され、壊し屋の組合を立ち上げることとなりました。その際「壊し屋組合」では格好がつかないということで他の名前を模索し「解体」という言葉が生まれ「東京解体協同組合」が発足したようです。
戦後、空襲で焼け野原となった地域では木造解体工事は激減し、昭和中期ごろになると鉄筋コンクリート造の解体工事が行われるようになりました。ハンマーとノミで時間をかけて解体をし、中の鉄筋は傷つけずに取り出していたようです。昭和40年頃になると古材は売れなくなり、次第にミンチ解体へと移行していきました。
昭和30年ころにはハンドブレーカー、昭和40年ころにはスチールボール、大型ブレーカー等、様々な解体工法が生まれ高度成長に寄与していきました。しかしながら、振動や騒音、廃棄物問題が取り沙汰されるようになり、昭和50年ころに英国から「ニブラ」が導入され、低騒音・低振動解体のために解体業者にも少しずつ浸透し現在ではほとんどの解体業者が使用するようになりました。
廃棄物に関しても、埋め立てや焼却処理からリサイクルへと移行し、ミンチ解体も分別解体へと変わっていきました。現代の環境に配慮した解体工事は様々な歴史の上に成り立っています。10年後、20年後の解体工事はどのように変化していくのでしょうか。環境問題が叫ばれている昨今、解体業者としても未来を見据えしっかりと考えていかなければならないと思います。
(参考文献 改訂 新・解体工法と積算 解体工法研究会編 一般財団法人 経済調査会)